ラ・サール学園の同窓会活動を振り返る時、松木實氏(3期)を語らずには何も進まない!
我が同窓会活動の原点は松木實氏のラ・サール学園、ブラザーの皆様への敬愛が全てであると思う。
昭和35年(1965年)、この頃東京から鹿児島へ。
家業を継ぐ為に帰鹿した松木氏は、帰鹿して間もないある日母校の猶野耕一郎先生に学校に呼ばれた。
「松木君、同窓会長をしてくれ!」こんな言い方かは?判らないが一方的であったらしい。
猶野先生は母校の母の会も作った方で、英語の教師でありアララギ派の歌人でもあられ、言葉には重みがあったらしい。
このような経緯で会長を引き受けた松木氏は、1期の福沢淳志氏と6期の岩田泰一氏と共に、東京・大阪・福岡の1期生の協力を求め同窓会の理事会、各支部を立ち上げることになった。
その後、「終身会費制度」を作り、その資金で小松原の発行・奨学金制度・同窓会会員名簿の発行の3本の柱を決定して同窓会の輪を全国に広げていった。
ブラザーを大好きな松木氏は、自宅にブラザーをお呼びして奥様の手料理で会食を楽しみつつ世界のラ・サール会の情報把握に努めておられたが、日本のブラザーが殆ど居なくなり又世界的にもブラザー不足が加速している実情を非常に危惧しておられた。
外国旅行の好きな松木氏は数年毎にラ・サール会に関係する修道院や施設を訪れ、又4年毎の世界ラ・サール同窓会は毎回訪れておられた。
全国の支部活動が順調に広がり始めた頃、平成12年(2000年)LS50(学園創立50周年会)を開催。その時の実行委員長が現在の副会長・津曲貞利氏(24期)であったが、まだ若かりし津曲氏を上手にコントロールしてLS50は大盛会であった。
当時、松木氏は未だ70歳前であったがLS50の後、会長を辞され野田健太郎氏(14期)にバトンタッチされた。
小松原も今年で44号を数えるが、その発案者も松木氏であり発刊当時から毎号編集にも携わっていた。初代編集長は小原鉄郎氏(3期)であったが、編集会では毎回松木・小原の同窓生同志の口論が我々には楽しみでもあった。
今後、多くの卒業生が同窓会を牽引していかれるであろうが、松木實の名を私たちは忘れることは出来ない。
松木 實(3期生) 2012年7月没
2006年の4月7日、私はスペイン北部にあるバスク地方のザビエル城に居た。この日行われる聖フランシスコ・ザビエルの生誕五百年祭の記念ミサに参列する為である。1506年4月7日に、彼はこのザビエル城主の末子として呱呱の声をあげたのであった。
ミサはスペイン国王夫妻も参加されて、盛大にそして厳粛に執り行われた。聖ザビエルがいかに偉大な宣教師であり、今なお世界中の人々の尊敬を集めておられる事実を眼のあたりにして、深い感銘を受けた。
そして500年前のこの日の彼の誕生がなければ、鹿児島にラ・サール学園が創立されることはなかったということに思いを致し、改めて感謝の念を捧げた。
話は溯るが、1949年ローマから来られた枢機卿ご一行が、鹿児島駅からザビエル教会迄長い列で行進されたことを憶えている。聖ザビエルが鹿児島に上陸された1549年から400年、それをお祝いしての記念祭が挙行されたのであった。
当時カトリック鹿児島司教区では、この記念事業の一環として、鹿児島にカトリックの男子校を創ろうという決定がなされていた。
この頃から、谷山に外国経営の私立学校が出来るらしいという噂が流れて来た。
1950年ラ・サール学園が開校した。中学3年生になっていた私は学園を見学に行き、そのアカデミックな雰囲気に魅せられ、受験することを決意した。
当時は校区制で、私が通っていた甲東中の校区は鶴丸高であった。鶴丸高は県下随一の名門校であるので、私がラ・サール学園を受験することには、両親・友人等皆反対であり、まさに四面楚歌の中での決心であったことを思い出す。
500名以上の受験者数に驚いたが、幸いに合格し、3年間天文館から谷山迄ゲタバキで電車通学をした。大学は東京に行ったが、学生時代に両親が亡くなり、家業を継ぐべく鹿児島に帰って来た。
仕事に追われ、ラ・サール学園にも永らくご無沙汰していたが、昭和42年のある日猶野耕一郎先生から呼出しがあり、同窓会長を引受けて欲しいとの要請であった。年に一回総会をやるという引継ぎだけである。
その年の8月、学校のジョセフ・ホールで同窓会を開いたのであるが、集まったのは約50名足らずの卒業生であった。
考えてみれば、ラ・サールの卒業生は鹿児島よりも東京・大阪・福岡方面に多いのだから、そちらの方で同窓会を立ち上げる必要があると思い、各地へ出向いて行った。
東京では1期生の徳留忠男氏、大阪では1期生の松岡正巳氏、福岡では1期生の大迫哲氏に会い、それぞれに同窓会設立に賛同して頂いた。そして1年後には各地で同窓会総会が開かれたのは、卒業生の方々の並々ならぬ努力のお陰であった。その後ずっと時間が経ってからであるが、名古屋で1期生の小倉政則氏に立ち上げて頂き、ここに全国の同窓会組織が出来上がったのである。
今日では各地の同窓会は、各期の幹事を中心に組織も整い、それぞれに毎年盛大な総会を開いている。それに加え各専門部会が充実し、国内ばかりでなく国外にもその活動を拡げているところもある。
ところで同窓会の運営には、どうしても資金が必要である。初期の頃は、同窓会の名簿によって年会費納付のお願いを郵送するのだが、印刷費・郵送費の半分位しか払い込まれて来ない厳しい状況であった。
そこで考え出したのが終身会費である。昭和53年にまず既卒者の方々に、お願い状を出した。そして昭和54年からは、新しく卒業する新同窓会員に、卒業式当日お願いすることにした。あくまでも任意であることを強調したが、卒業生の父兄からはきびしい叱正の電話も来たりした。それでもその年から終身会費納付率が95%以上になり、その後財政的には一応回って行くようになった。
開校25周年の節目に何か記念となる事業をやろうということになり、話し合った結果「聖ラ・サールの胸像建立」を決定した。この建立の為に300万円募金を呼びかけたところ、同窓会で初めての募金活動ということもあってか、600万円以上の浄財が集まり、建設委員一同感激した。聖ラ・サールの日である昭和51年5月15日に除幕祝賀会を催し、カナダに帰っておられた第2代校長のブラザー・ブロンデンそして永く聖書史を教えておられたブラザー・イシドールをお寄びした。
この聖ラ・サール胸像が建立された頃から、卒業生の同窓会に対する関心がより大きくなった。もっとも卒業生の年代が30歳代後半から40歳代になった方々が増え始めたことも大いに関係があると思われる。
昭和53年6月に初めて同窓会理事会が鹿児島で開かれた。各支部に対する同窓会本部としての方針説明・活動計画それにたいする各支部からの本部に対する希望・提案、そして各支部間の情報交換と活動内容の報告・検討等を、各支部から支部長及び事務局長に出席して頂いて開催した。理事会は原則として、各地を毎年巡回することにしたので、各同窓会を訪問するよい機会ともなった。
第1回の理事会に於いて、同窓会の機関誌として『小松原』を年1回発行することになり、各地の編集委員も決められた。今年で小松原33号迄刊行されたことになる。
そして2000年8月4・5・6日「創立50周年祭」を鹿児島で開催した。その5年程前から、50周年記念募金は始まっていたが、1998年に鹿児島で実行委員会が結成された。それから毎月50周年祭準備の為の会合が開かれ、色々の検討を重ねた。
50周年記念事業の目玉は、井上ひさし氏の講演会とラ・サール学園及び仙台のラ・サールホームへの寄付であった。
50周年記念当日は、全国から1,000名を超える卒業生に参加して頂き、盛大な同窓会となった。23期生ラサール石井氏の軽妙な司会で、記念祭は大変な盛上りであった。一般市民にも開放された井上ひさし氏の講演会は、かつてのラ・サールホームで彼の先生であったブラザー石井のご紹介に始まり、氏独特の話術で聴衆を魅了した。
多くの同窓会員の協力で成功裡に終った50周年を機に、会長職を14期の野田健太郎氏に引継いで頂いた。彼は人格・識見そして能力ともに揃った方で、今後ますます同窓会の発展が期待されるところである。
最近では東京支部が中心となって、海外のラ・サール同窓会(UMAEL)との連携など、グローバルな活動も始まっている。
2011年10月には、アジアでは始めての開催となるラ・サール世界大会が、フィリピンのマニラで開かれる。私はかつて1980年のパリ大会、1984年のメキシコ大会に出席し、世界のラ・サーリアンと交流を深めたことがあるが、久しぶりのラ・サール世界大会に出席したいと思っている。幸い海外のラ・サーリアン、各国のラ・サール会ブラザー方との交流も続いているので、今後のラ・サール学園同窓会の国際化の為、同窓生の諸氏とともに手を携えてお役に立てるならば望外の幸せである。
小松原創刊号の挨拶文
新しい飛躍に向けて 同窓会長 松木 實(3期)
ラ・サール学園同窓会も、会員が6,000名に達し、社会の中枢として内外の第一線で活躍するようになった現在、その性格も変化して行かざるを得ません。同窓会の目的も多様化するであろうし、同窓会の活動も地域的なものから日本的しいては世界的な視野が必要となるでありましょう。
会員諸兄の期待に応えられる同窓会活動を推進する為、長い間懸案であった終身会費の納付がいよいよ始まりました。会員諸兄のご協力を切にお願い致します。この終身会費を活動資金として、多様化する会員の要望に、同窓会としては出来るだけ応えて行く計画であります。
皆様の要望の中でも、最も強いものと思われる、同窓会活動状況・各支部情報、学校の最新ニュース・先生方の近況、会員の消息等をお伝えするのがこの定期刊行物の目的であります。将来は発行回数を増やすこととして、今のところ毎年1月と7月に発刊して行く予定です。
会員諸兄からのご意見、ご要望をもとに改善し、内容を充実して行きたいと話合っております。
所詮、同窓会活動はボランティア活動であると思います。そしてその活動の基本は、やはり人材であります。今後の同窓会活動を盛んにして行く為に、会員諸兄のご協力を切にお願い致します。
旧約聖書の格言の書にある「あなたにできることなら、あなたにものを頼む人の願いを拒んではならない」をわがラ・サール学園同窓会会員のモットーにしたいものです。